中しゃち鎖骨骨折日記

 

04年9月12日日曜 名阪スポーツランドでレース

MOTO-1名阪大会の練習中にコース認識用の2段重ねの4輪タイヤに接触し、前転1回転の宙返りでクラッシュしてしまった。

僕は転がっていって頭と全身を強打して、激痛の苦しみと息もできなかったから 「うぅ〜」 と声出して土下座の姿勢でしばらくは動けなかった。(名阪での土下座は2回目だ) 傍から見ていた人はアラーの神に祈りを捧げているようにも見えたらしい・・・。 左肩と左鎖骨あたりが異常に痛い。

僕は{うぅ〜やっちまったぁ・・・でもまだ走れるぞぉ〜}と何気に思っていた。マシンのダメージも確認してなかったけどね。

とりあえず激痛も少し治まってきたから、そろそろ起きなくてはと思いムクっと立ち上りオフィシャルに「大丈夫です!」の一言でトコトコとテントまで歩いて帰る。 マシンはうちのメンバーのモーリーが運んでくれた。(参加のみなさん、赤旗出してすみませんでした)

先ずはマシンのダメージの確認。幸運にも大きなダメージはないようだ。とりあえずステップとハンドル周りをメンバー達がささっと修理してくれている。{ん〜心強い}。

で、僕の怪我はと言うと、どうも左鎖骨が変だ。触ってみても形が変だし、腕も上がらない。でも鎖骨自体は離れてないし。。{走れるかなぁ…}

マシンが修復されてメンバーのヒロが言う「練習の残り時間は5分くらいあるよ」って。 僕「よっしゃ!じゃ、走ろう!」 ブンブンブ〜ン!コースインする。 {なんだ、乗れるじゃん・・・} ブーンブーーン そして木製ジャンプをピョンと飛ぶ。着地の瞬間、 「ズキ!」 鎖骨が痛いやんけ。。でもとりあえず乗れることは確認できた。

テントに帰ってきて肩を氷で冷やし、痛み止めを飲む。{次転んだら鎖骨はヤバイだろうなぁ〜}と思う。

肩にテーピングをしてみたところいい感じだ。肩周りを補強した感じで少し楽になった。

 

そしてヒートレースが始まった。

横1列の予戦ヒートB組、ビースト選手とバトルしたけど1位でゴールできた。チェッカー後、ビーストが1コーナーを飛び出して転んでいた。{なんで?}

テントに戻って鎖骨が痛かったから再び痛み止めを飲んで氷で冷やす。

続いてAB組のヒート1、ビーストに先行されたけど途中で抜いて1位でゴール。{ほんとスピードがのらない低いジャンプの設定でよかった;}チェッカー後にビーストがウイリー失敗でまた転んでいた。{なにやってんだろう・・・}(この日のビーストは新調したツナギを着ていました)

テントに戻って鎖骨を冷却。

ほんでファイナルレース。グリットは僕、CD組トップの小栗さん、ビーストの順。レースは小栗さんに先行されたものの4周目くらいに抜くことができた。{師匠すんません}

レース中に鎖骨の痛みはあまり感じなかった。痛み止め薬とテーピングと、ひたすら氷で冷やしたことと、あとは自分自身のアドレナリンの大量分泌がよかったのだろう。あ、ファイテンのチタンテープも貼っていたな。

レース終盤5位くらいを走行中だったカワック選手も2段重ねの4輪タイヤの餌食になっていたようだ。今度は前転2回転宙返りだ。まさにラジコン状態・・・コワイ・・・ あ、カワックもニューツナギだったな)

そいで中しゃち1位でゴ〜ル!ちゃんとスタンディングウイリーでチェッカーを受けた。一時はどうなるかと思っただけに嬉しかったのだ。。でもそれだけでは物足りず1周のウイニングランの後、メインストレートで再び高速ロングストッピーも!!{見たかADtac ロングストッピーできるようになったぜぇ}。tacは居ませんでしたけどね、仙台の人ですから。今日の僕は違う意味でADnac (アスファルトダンスして泣く)。

その後ビースト、TAI選手達もウイリーやらストッピーやらでブンブンブーン。するとガシャー!の音「ん??」目線の先には人が乗っていないオレンジのマシンだけが走って行っているではないですか。。(あまり見たことのなシーンでした)。転んだのはTAIでした。ウイリーに失敗して棹立ちになったマシンから落ちていたのです。{あ〜やっちゃった…}。TAIも4位に入賞して嬉しかったのです。でもレースで疲れ果てた右腕はいうことを聞いてくれなかったらしいです。

みなさん、チェッカー後のウイリーと重ねてあるタイヤには注意しましょうね。

そんなこんなでレースは終わりました。

明日、病院で診てもらおう。

 

 

9月13日月曜日 初診

一晩中仰向けのままで朝を向かえる。身体の節々が痛い。朝一、市民病院に行く。問診の時に過去2回左鎖骨骨折(手術)の経験があることを告げる。

鎖骨のレントゲンを撮る。レントゲン出来上がる。レントゲンを見ると骨自体は外れてないが曲がって見える。。{折れてるのかな〜}と思う。

先生はレントゲンを見て「形が変ですね〜」という。 僕「でも今回この形になったのか、以前手術した時の形のままかは分かりませんよね〜」 先生「まあそうですけど・・ちょっといいですか〜」と僕の鎖骨を触診。先生「あ〜ここですね〜」急にグイッと押されて激痛が走る。僕は思わず仰け反って「痛いっすよ!先生!」 先生「骨折です」だって・・・。先生の言葉を信じたくない僕はレントゲンを見ながら「え〜、どこが折れてるんですか?」 先生「ここです、線が見えるでしょ?」 僕「ん〜皹が入ってるんですか?」 先生「皹も骨折です」。  実は1週間後に楽しみにしていたお台場でのレースが控えていたので僕は骨折という現実を素直に受け入れたくなかったのです。 僕「でもバイクは乗れますよね?ね」 先生「乗る乗らないは自分で決めてください、でも次転んだら完全に折れますよ」 僕{・・・}  結果、診断は手術しなくてよいとのこと。要するにほっとけば治るということだ。カメラ付携帯でレントゲン写真をパシャリ。先生に鎖骨バンドでグイグイッと固定されて背筋がシャンと伸びる。{猫背が治った^^}  先生から「16日にまたレントゲン撮りに来て下さい」と言われてトボトボと会社に帰った。まぁ2〜3日よーく考えよう。

 

 

9月14、15日 

状態は全く変わらず左肩は全然上がらない。鎖骨周りも内出血してふっくら腫れている。(写真)

仕事も碌に出来ないから左肩にアイスノンをのせて冷却しパソコンに向かって坊さんのようにじっとしていた。修行じゃ。

 

 

9月16日 再診

午後から病院に行く。レントゲンを撮る。先生がレントゲン見ながら「うん、ずれていませんね」 僕は思った{ずれるってどういうことやねん?折れてないのに・・・}。 先生「このまま様子を見ましょう、2週間後にまた来てください」  僕{おっ状態はいいんだな}と勝手に思う。 僕「週末のレースに出ようと思うんですがぁ〜」 先生「そうですか」 僕{出ていいんだぁ〜♪}と思う。

よーし、帰ってレースの準備じゃ!

 

 

9月17日 マシン整備

朝から中しゃち号とサイモン号を洗車する。準備完了―。

 

 

9月18日土曜日 移動日

昼頃にナベちゃんがやって来た。僕、ナベちゃん、モーリーの3人でお台場まで行くのである。サイモンは現地で合流。

マシンやタイヤ、その他沢山の荷物をハイエースとコンテナトレーラーに積み込む。コンテナトレーラーはチョー便利です。チョー気持ちいい! ハイエーススーパーロングとならバス並みに荷物が積めます。みなさんご注文お待ちしております! 日記と題して物を売る ≪ナカショー日記≫。。  積み込み完了―、レッツゴー!

道中車中、ナベちゃんに携帯で写したレントゲン写真を見せると、ナベちゃんが言う「これ折れてないやろ〜」 僕「やろ〜、医者は折れてるとか言いよるんだ」

僕自身、「折れていない」「イケル」という自己暗示をかけていたのかもしれない。

夜8時くらいにお台場イベント会場に到着。パドックに行くとブレーキショップのテントにMOTO-1の面々がビール片手に勢ぞろいしているではないか。トニーが仕切っている。相変わらず元気だ。 小栗さんやビーストもご機嫌そうだ。その後バーベキューをやるとか言っていたが安静にするため参加せず。僕達はコンテナトレーラーを切り離しOUTEXテントおっ建てて、そそくさ退散した。そしてサイモンと合流(後藤さん夫妻と野沢君も)。 サイモンが言う「Hows it going?」 僕「ノーグッドじゃ」。 みなさんとお洒落な居酒屋で軽く食事をする。美味しそうな料理が出てくる。刺身が嫌いだと言うサイモンに「レッツトライ」とか言ってみる。食事を済ましてトレストイン田町ビジネスホテルにチェックイン。早めに就寝。明日はちゃんと走れるかぁぁ〜zzz

 

 

9月19日日曜 お台場でレース

トレストイン田町は静かでぐっすり眠れた。朝から快晴だ。コンビニで買出しを済ませ、お台場イベント会場に向かう。会場に到着し、コースチェックに行く。土を盛ったジャンプセクションはかなりの飛距離が出そうな感じだ。{ヤバイ、鎖骨は大丈夫か?確かぁ事前に聞いていた話だと小さなジャンプ台が1個だけあるとかだったが}。

ふと遠くの最終コーナー側を見る。目を凝らしてよく見る。 {ん?} なんとロードセクションに木製のジャンプ台が追加されているではないか!{・・・}。テントに戻り肩にテーピングをしツナギを着る。着る時鎖骨が痛い。朝の公式練習が始まる。走ってみると鎖骨がかなり痛む。ジャンプも全然飛べないし、ペースも上がらない。これはかなりヤバイと思う。何度かペースアップを試みたがしっくりこない、ダメダメです。テントに戻ってリタイヤするかをチームメンバーと真剣に話し合う。トップグループに割り込むことは厳しいと悟ったのだ(本当に痛かったんです)。でもナベちゃんは言う「確かに見ていて辛そうだしー、リタイヤもありと思うよ、でも!やっぱー、出来れば走ってやね〜、ん〜、レースになったらイケルかもよ」とか3回くらい連続で言っていた。要するにハ・シ・レと。 実は今回の優勝者には10万円の賞金が出るのだ。僕たちTEAM OUTEXは去年のMOTO-1セントラル耐久レースで優勝し30万円をゲットした経験がある。その帰りに派手な焼き肉パーティーをやりながら現なまをメンバーで山分けしていた時のナベちゃんの笑顔が思い浮かぶ。。  と言ってもナベちゃんは元プロメカニックなのだ。‘93’94年はAMAスーパーバイク選手権にマジーカワサキのメカニックとして、‘95年はチームファーストバイフェラッチに所属しドカティでフレディースペンサーと共に転戦したことのある筋金入りのメカニックなのだ。ライダーにはチョーきびしい。  僕は弱気な口調で「ちょっと考えさせて」とトコトコと主催者テントに向かった。 主催者のYさんに「木製ジャンプはやめましょうよ」と一応言ってみる。理由はターマックにジャンプ台は要らないとか、コーナーから近いので危険だとか。本心は鎖骨が痛かったから。でもね実際に公式練習中に木製ジャンプで転倒した人も居たんだよ。そしてライダーズミーティングが始まる。ミーティングでは木製ジャンプ台を使わないか又は移動させるかと言う内容だ。でもジャンプ台が無くなるという気配は全くない。なぜなら周りはジャンプ大好きっ子モトクロスライダーばかりだから。{無くなってぇ〜}と願うのは僕を筆頭に数名のロードライダーだけ。結局木製ジャンプの位置がヘアピンコーナー立ち上がりから遠めに置かれることになった。どういう事かと言うと更に飛距離が出るようになってしまったのだ {尚更あかんやんけ!}。 変なこと言わなければよかったと後悔する。テントに戻るとマシンにはタイヤウォーマーが巻かれ準備万端だとナベちゃんが相づちを打つ。 僕{賞金獲れてか・・・} 僕は無言で痛み止めをゴックン、肩にバンテリンを塗り塗り、ツナギに着替え始める。ナベちゃんマシンの暖気を始める。ブルンブルーン。そして横一列の予戦ヒートTが始まる。僕は珍しくフライング気味?なスタートをしてしまったがそのまま1位でゴールした。もう後には引けない。

マシンの準備を終えたナベちゃん

続いて予戦ヒートU、20台中予選通過は10台だ。僕はペースが上がらず5位でフィニッシュ、予戦通過。チームメンバーのサイモンは予戦落ちしてしまったからラストチャンス(敗者復活レース)に出ることになった。サイモンが決勝に出るためにはラストチャンス20台中2位以内に入らなくてはならない。頑張ってほしい。しかしラストチャンスも甘くない。なぜなら予戦ヒートUで転倒予選落ちしたADtac選手も出るからだ。そしてラストチャンスレーススタート!サイモンは序盤にポジションを2位まで上げることに成功し順調に走行していた が!後方にはADtacがうしろ髪なびかせ凄い勢いで迫って来ているではないか!(tacは長髪なんです) 逃げろ〜!サイモーン!しかし最終ラップに抜かれてしまった。tacもラストチャンスでアスファルトダンスする訳にはいかないのです。結果サイモンは3位でした。残念。

僕は総合予戦9位でグリットは2列目。 決勝レースが始まる。1周目からジョーズ増田選手がレースをリード。僕は6位くらいを走行していたが思うようにペースが上がらない。レース中盤ダートセクションに差し掛かった時、僕の前を走っていたライダーがコース認識用4輪タイヤを足で蹴飛ばして僕の目の前に転がってきた。「うわー来るなタイヤ!ぶつかる〜!」 で、ぶつかったがナカシャチ危機一発で難を逃れた。タイヤを乗り越えることができたのだ。{俺はタイヤに好かれてんのんか?でも今回はタイヤに勝ったぞ} しかしホッとしている場合ではない、レース中なのだ。その後思うように走れず2〜3台に抜かれながらも走行中、最終コーナー立ち上がりにも障害物(コース認識用のゼブラゾーン)が転がっているではないか!{またかよ!}(特設コースなのでこんなこともあるのです)そのゼブラはちょうど走行ライン上にあるからみんな乗る乗る。僕も3ラップ連続で乗ってしまってハンドルぶるぶる振られて、そりゃもう危ない危ない。てかライン変えれば問題なかったんですが。  結局レースはジョーズ選手が優勝し、2位タカテル選手、3位ikki選手。僕は9位でフィニッシュ。今回のサバイバルレースはチョーハードだったが1日転倒なしで完走できたことが何より嬉しかった。疲れ果てた僕はテントに帰ってしばらく放心状態。 {……ホント転ばんでよかったぁ……} しばらくしてからツナギを脱いでいると鎖骨の痛みが増しているような・・ま、そりゃそうだろ無理もしたし、しょうがない。触ると若干形が変わっているような気もする。ナベちゃんに聞いてみる「ちょちょ見て、鎖骨の形が少し変わってない?」 ナベちゃん「ん〜変わってないよ」 僕「そっか♪」 その後バイクや荷物を片付けてみんなでビールで乾杯!しばらく雑談して大阪への帰路につく。

ナベちゃんの言い訳

 

 

9月20日月曜 敬老の日

この日は祝日ということもあってずっと寝ていた。鎖骨はかなり痛む。レース前より悪い状態だ。僕は牛乳を飲みながら{怪我が治るまでしばらく大人しくしよう}と決めた。

 

 

9月21、22日 仕事

痛みをこらえて右手だけで仕事をする。(パソコンの前で修行) 

 

 

9月23日木曜 秋分の日 休日

朝から身体がだるくて仕方がない。ナースコールを押したい気分。今だったらナースも天使に見えるはずだ。。牛乳もいっぱい飲んでいるし骨折している?時は眠くなるのか。1日寝て過ごす。

 

 

9月24日金曜 もう一つの病院

どうも鎖骨の痛みが治まらない。今掛かっている病院に行こうかと思ったが担当医がいなかったから違う病院に行ってみることにした。問診で一部始終を話す。レントゲンを撮る。レントゲン出来上がる。レントゲンを見ると、折れている。。ずれている・・・(汗)。 先生「折れていますね〜」 僕「みたいですね」 先生「安静にして左肩は上げないように、鎖骨バンドは寝る時も外さないでくださいね」 僕「どれくらいの間ですか?」 先生「最低4週間から6週間は外さないでください」 この時、事の重大さに気付く。{骨折だろ?いつ治るんだ?12月のレースまでに治るのか?} 僕「先生!12月にバイク乗れますか?」 先生「そんなことは経過を見ていかないと判りませんよ」 僕{そりゃそうだな}。取り敢えず今は怪我を治すことだけ考えようと思い会社に帰る。小栗さんが昨日の23日のレースで転倒し救急車で運ばれたことを聞く。心配になり電話をしてみる。 プルルルー、ガチャ、「ハイ小栗です」 僕「小栗さん大丈夫ですか?」 小栗さん「鎖骨と肋骨本6と肩甲骨を折っちゃったよ」 僕「鎖骨ですか!^^ 僕もボッキリ逝ってましたよ!」 小栗さん「ホントー、バカだな〜ハハハ〜肋骨が痛ひ〜」 僕「小栗さんこそ〜ハハハ〜」 元気そうでよかった。   

本日のレントゲン写真

 

 

9月25日土曜 怪我人

僕は怪我人なのである。。(本当は素直な人間なんです) どうあがいてもしばらく鎖骨バンドのお世話になるしかないのだ。身体を早く動かせる状態にするにはプレート固定手術という方法もあるが、最近ではよっぽどの骨折でないかぎり手術はしない傾向らしい。僕自身ロードレース時代に手術を2回経験したがボルトやプレートが身体の中に入っていると違和感があるし、第一、入院するということが大嫌いなのだ。(ナースは別として) 医者もこの程度なら手術の必要はないと言っているしね。しかし不便な日々が続くのは事実。社員にも「私は怪我人です!」と、力仕事ができないことを認めてもらう。 軽く仕事をしてパソコンの前で修行。

 

 

9月26日日曜 休みなのに

日曜というのに朝から何もする気になれない、いやこの状態で何もすることがないのだ、いや、してはいけないのだ。 いや!もういいて? 

昔、太郎(実家の犬)が怪我をしたことがあった。その時の太郎はずっと犬小屋から出てこなかったしな。 そうなんです、怪我をしている動物は傷が癒えるまで巣の中でじっとしているものなのだ。動物から学ぼう。1日寝て過ごす。

 

 

9月27日月曜 ストレス

事務所で修行の日々が続く。なんとなく口の中が痛いと思ったらいつの間にか口内炎ができていたのだ。確か口内炎はストレスからできる場合もあると聞いたことがある。仕事は溜まっていくし、当然バイクにも乗れない、12月のレースまで怪我が治るのか、などを考えることで僕は知らず知らずのうちにストレスを抱えていたのだ。そうなんです、犬や猫はストレスから毛が抜けたりするも ん  ・・・   ヤベエ。 最近ただでさえ抜け毛が多いのにこのままでは本当の修行僧になってしまうぞ。イカンイカン!気持ちを切り替えよう。雑念ばかりの修行は止めだ。

 

 

9月28日火曜 鎖骨バンド

四六時中鎖骨バンドを着けているが本当に不便で窮屈だ。鎖骨バンドとは鎖骨骨折部に負担が掛からないように胸を張った状態を保つ為の物だ。胸を張るから背筋はシャンと伸びて姿勢はよく見える。しかし立ったり座ったりする動作については至って不自然な(おかしな)動きなのだ。 肩凝りもひどくなるし早く外したいよ。

 

 

9月29日水曜 事務所で修行

 

 

9月30日木曜 市民病院で再診U

今日は市民病院での再診予約日だ。担当医も僕のずれた鎖骨のレントゲンを見たら何と言うだろう。「ほ〜ら言わんこっちゃない」とか・・・ま、医者だからこんなことは言わんだろう。取り敢えずレントゲン室に直行し正面からと斜め下からの2枚を撮影、控え室で待つ。 看護婦さんが呼ぶ「中しゃちさーん」 僕「ハーイ♪」 トコトコと診察室へ入る。 先生がレントゲン見ながら「ん〜変化ないですね、よし」 僕「ハ?」 レントゲン写真をよく見ると前回の状態と殆んど変わりがないのだ。 {なんでだろう・・・ずれているはずなのに。 前回のレントゲン写真を間違えて持って来たんじゃねーのか?} でも考えてみたら近所の整形外科でレントゲンを撮った時はなぜか寝かされたし、撮影時にはレントゲン室の電気も消していたし、当然レントゲン機も違うだろう。 撮影条件が違うと写り方も変わるということか。  僕「先生、実は先週レースに出まして、鎖骨の痛みがひどくなったので他の病院に行ってきました、その時のレントゲン写真がこれです」と携帯の撮影画像(鎖骨ポッキリ写真)を見せる。 先生「ん〜これは角度の違いで写り方が変わったのでしょう〜まぁここのレントゲンでは変化はありませんから」だと。  変化がない・・・ じゃーなにかい?初診の時点からポッキリ折れていたのかもしれないのかい?初めからレントゲンにポッキリハッキリクッキリ写っていたら、間違いなくお台場のレースには行ってねえよ!!  ・・・でも怒ってはいけない、無事に帰って来られたのだし、もう済んだことなのだ。現にここの先生は初めから骨折と診断したし、ずれの心配もしていたのだ。さすが先生!スゴイ!  でもCTスキャンで撮っていたら鮮明に写っていたんだろうなぁ〜。 次の再診予約は3週間後の21日になった。

 

 

10月1日金曜 もう一つの病院で再診

今日も別の病院で再診だ(近所の整形外科)。  僕は{レントゲンというものは当てにならないものだ}など思いながらもレントゲンを撮ってもらう。レントゲン出来上がる。 先生「お〜いいですね〜、悪くないですよ〜、仮骨も出来てきましたねぇ〜」 レントゲンを見ると明らかに亀裂の影が減っているではないか!♪  

昨日とは打って変わって気分がいい。なんかやる気が出てきたぞぃ。 僕「先生!少しでも早く治すにはどうすればいいですか?」 先生「温熱療法はやった方がいいでしょう。あとアリナミンFでも出しておきますよ」。  アリナミンF? 栄養ドリンクか?「今日も一日ブイっと行こうー」の? あ、あれはだったな。。 帰りに貰ったのは黄色の錠剤だった。そりゃそうだべぇ、病院で栄養ドリンク1ケースとか貰ってくるヤツはいねーべ。{いるのかな?}。 アリナミンFとはビタミンB1のことだった。 そして病院の帰りに薬局に寄ってカルシュウムの錠剤も手に入れた。

 

 

10月2日土曜 温熱療法開始

朝一から通院だ。温熱療法で少しでも早く骨をくっつけるために頑張るのだ。骨にいいことは何でもやるのだ。会社での昼休みには日光浴をする。『豆知識』日光に含まれる紫外線が皮膚でビタミンDを生成し骨の形成を促進する。らしい

 

 

10月3日日曜 口内炎治る

前向きな考えになると口内炎も治っていた。

 

 

10月4日〜10月9日 温熱治療の日々

毎日温熱治療のため通院。事務所で修行の日々。

 

 

10月10日日曜11日祝日体育の日 連休

じっとしているのも退屈だし出かけることにした。前向きなのだ。

 

 

10月12日火曜 

温熱治療のため通院。事務所で修行。

 

 

10月13日水曜 もう一つの病院で再診U

温熱治療の後に先生に頼んでレントゲンを撮ってもらう。先生は前回撮ってから2週間も経っていないからあまり変化は無いだろうと言いつつも撮ってくれた。レントゲン出来上がる。先生「お〜、いいですね〜、あなたは若いから治りが早いですねぇ」。 そういえばこの病院はお年寄りの患者さんばかりだな。

 

10月12日〜15日 温熱治療のため通院。事務所で修行の日々。

 

 

10月16日土曜 久しぶりの酒

鎖骨の状態も若干良くなってきたから友達のドムさん(スコットランドの人)と飲みに行く。もちろん鎖骨バンドは着けたままだ。ドムさんの家からは自転車で飲みに行くのだ。ドムさんは自転車で飛ばす飛ばす。僕は片手運転だからついていけない。ドムさんは先月のMOTO-1名阪大会でSM3デビューを果たしたモタードライダーなのだ。ドムさんのXR250にはOUTEXマフラーが装着されている {ドムさんありがとう}。 居酒屋に到着。久しぶりの酒はうまい!ほろ酔い気分でレース談義に花が咲く。ドムさんが言う「なかしゃち、鎖骨骨折くらいで済んでよかったよ、見ているほうは首の骨が折れたのではないかと思うくらいひどいクラッシュだったよ」と。 そうだよな、スリップダウンでもなく、ハイサイドでもなく、バイクの上からジャンプするように飛んでいってアスファルトめがけて頭からダイブしたのだから。。僕以外にもコース認識用4輪タイヤで数人クラッシュしているし、今後のレースは安全面について考えていかなくてはならないだろう。 飲みの締めくくりにラーメンを食べて自転車でふらふらと帰った。

 

 

10月17日日曜 MOTO-1伊那では

今日はMOTO-1伊那大会が開催されている。僕も怪我がなければ出場予定にしていた。好きなコースだけに行きたかった。この日のレースアナウンサーはなんと小栗さんだ。小栗さんも怪我をしていてレースには出られないからレースアナウンサーをやることにしたらしい。プロ野球選手が引退後にアナウンサーになることは良くあることだし、レーサーがアナウンサーをやることもあるのだ。 レース結果は大西選手が優勝、2位ジョーズ選手、3位タカテル選手、4位TAJIMA選手、5位にはビースト選手が入った。ビーストはチェッカー後に転ばなかったのだろうか?心配だ。  今回のレースは大西君が優勝しただけに、小栗さんもさぞかし走りたかったことだろう。(小栗さんと大西君は伊那大会ではいつもトップ争いしているので)  レースが出来ないのならアナウンサーをやるという小栗さんの姿勢に感銘を受け、僕も日記を書くことにした。(なんで日記やねーん!)

 

 

10月18日月曜 ひ弱な鎖骨君

温熱療法の効果か少しずつだが状態は良くなってきている。しかし鎖骨バンドはまだ外せない。バンドを外すということはギブスを外すようなもので骨折部に負担が掛かかってずれるおそれがあるのだ。しかし風呂に入る時はバンドを外さなければならない。バンド無しのスッポンポンのときは甲羅を脱いだ亀のようにひ弱になってしまう。(イメージです) 鎖骨君早くくっついてね、お願いします。

 

 

10月19日火曜 闘魂マフラー

ぼちぼち工場で仕事が出来るようになってきた。溶接などもやっているが、時に鎖骨バンドが邪魔をする。しかしマフラー製作時に鎖骨が云々などと言ってられないのだ。いいマフラーを作るには一つ一つに集中して魂を注がなくてはならないのだ。 そうなんです、OUTEXマフラーには強靭な魂が宿っているのダアー! 僕は闘うライダーでもありマフラー職人でもあるのです。 鎖骨が痛いからといって弱音を吐くようじゃ真の闘魂職人ライダーとは言えないでしょう。 (お台場レースの時は弱音吐いていました) ここで僕が好きなアントニオ猪木さんの名言を集めてみた。

l  「元気が一番、元気があれば何でもできる」

l  「修行とは出直しの連続なり」

l  「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。 危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。 迷わず行けよ。行けばわかるさ」

l  「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる 本当の自分も笑ってた それくらい 馬鹿になれ」

l  「たかが高田の引退だけど、リングを去れど高田は高田。もうすぐ寒い冬。 秋はいってしまうけど、高田の奥さんは向井亜紀」 「コノヤロー!」

 

 

10月20日水曜 

昨夜から背中が異常に痛い。ずっと鎖骨バンドを着けているせいだろう。そういやいつも寝返りも打てずに仰向けのみで寝ているしな。寝返りの仕方を忘れそうだよトホホ。でももう少しの辛抱だに。 忍耐でござる、にんにん。

 

 

10月21日木曜 市民病院で再診V 鎖骨バンド解放!

久しぶりに市民病院での再診だ。あの愛想のない先生は今日なんと言うのだろう?と思いながらレントゲン室に直行した。レントゲンが出来上り診察室に行く。 先生「ん〜いい感じですね」 僕{なに言ってんだよ、最初からこんな写り方じゃん・・}。 

なんでここの病院は骨折の影が写らないんだ?不思議だ。まぁ今更写ってもらっても困るんだが。 僕はちょっと問いかけた。 僕「先生、これ見てください。」とまた携帯の撮影画像を見せる。(僕の携帯はレントゲン写真ばっかりです) 僕「近所の整形外科では違いがはっきり写っているのに何故ここではいつも同じように写るのですか?」 先生「ですから〜これは角度の違いで写り方が変わるんですよ」と、また同じことを言ってるし、あまり相手にしてくれてないようだ。 先生「もう鎖骨バンドは外していいですよ」 僕「え!いいんですか?」 なんか嬉しいような不安なような。 僕「手を自由に動かしてもいいんですか?」 先生「いいです」 僕「バンザイしてもいいんですか?」 先生「いいです」 僕{本当かぁ?} 先生は僕が他の病院に行っているから気分悪くして適当なことを言っているのかな・・ すると先生が「もう来なくていいですよ」だと。 少し間が空いて、どんよりした空気が漂う。 すると先生が「いやいや、、もうあとはレントゲンで確認するだけだし、お近くの整形外科でも大丈夫だと思いまして」  僕{最初っからレントゲンだけで判断してんじゃねーかよ・・・} 僕「そうですね、ではそうさせて頂きます」と言って帰った。 確かに医者の立場からすると、他にも病院に掛かっていることを知ればいい気分はしないだろう。しかし医者と患者との信頼関係が無い場合は、他の病院で診てもらうことは悪いことではないと思う。(信頼関係を崩したのは僕ですがね(汗) 現に過去、僕はとんでもない藪医者に掛かったことがあるし、2ヶ所のの病院で違う診断がでることは少なくはないことだ。 

 

 

10月22日金曜 さよなら鎖骨バンド

市民病院の先生の言葉を信じて鎖骨バンドは外すことにした。。 僕自身も鎖骨バンドに嫌気がさしていたからでもある。 鎖骨バンドを外して解放された気分だが少し不安感も残る。なぜなら1週間前までは骨折部がグラグラと動いていた感じがあったからだ。 一応自由の身になった訳だが、腕を水平にするのが精一杯でバンザイすることなんて絶対無理。(当り前だけど) それ以上腕を上げようものならパワーグラフのように痛みも増していく。痛みリミッターだね。 まぁ、ぼちぼちリハビリをしながら徐々に動かせるようにしていこう。 {鎖骨バンド、今までありがとう} できることならもうお世話になりたくない。鎖骨バンド それと温熱療法もやめた。明日からは運動療法に切り替えだ。

 

 

10月23日土曜 運動療法開始 

以前から通っていたコナミスポーツジムに行く。1ヶ月以上何もせず牛乳ばかり飲んでいたから体重も増えているし、下半身だけでも動かした方が血行も良くなって骨にはいいはずだ。今からはカルシュウム摂取と運動なのだ! エアロバイクで有酸素運動をするが、まだ胸は張った状態で左手はハンドルをつかめない。 軽く30分くらいで切り上げて更に新陳代謝を高めるためにサウナ室で汗タラタラ。

 

 

10月24日日曜 SRイベント

今日はりんくうパパラでSRミーティングが開催されている。午前と午後にトリッカーショータイムが予定されていて、ゲストライダーはADtacだ。僕は昼からtacの芸を見に行くことにした。会場に到着するとSRばっかしやし。そして人ごみの中からtac登場、バンダナが板についている。 少し雑談し昼からのショーを待つ。 チャリティーオークションが終了し、tacの出番がやってきた。 われらがADtac トリッカーで登場! ウイリー!ストッピー!ウイリーサークルー!  でも見た感じなんか乗りにくそう、いや違う、まだ酔っているのかもしかして! この日のtacはいつものキレがなかったような。。でもSRのみなさん、tacを責めないでください。昨晩僕と夜中の3時まで飲んでいました、すいません。僕の鎖骨にもすいません。

 

 

10月25日月曜 カイロプラクティック

土曜の深夜までの不摂生がたたったのか朝から調子が悪い。酒に酔うとついつい手が勝手に動いてしまうんだよなぁ。。。 肩凝りもひどいし鎖骨の骨折部がグラグラしいているような感じもしないでもない。鎖骨バンドを外すのが早かったのか、少し心配。 偽関節なんかになったら大変だし、(偽関節とは折れた骨が癒合せずに、グラグラのままになること) とりあえず行き付けのカイロプラクティックで診てもらうことにした。カイロプラクティックの先生は僕の背骨や首の異常を指摘してボキボキッ!と正してくれた。 鎖骨も診てくれて偽関節の恐れは99%ないと言ってくれた。 骨折してから12ヶ月くらいで偽関節の心配なんかしなくていいらしく、6ヶ月くらいしてもグラグラだったら、その時初めて偽関節と診断されるのだと。 一昔前の鎖骨骨折の場合はギブスで固定するか又は手術することが多かったらいしいが、今では鎖骨バンドだけで十分に癒合することが判ったんだって。 腕を少々動かしてもくっつくということだね。 でもお酒の飲み過ぎは禁物です。

 

 

10月28日木曜 雨で関節痛

朝から雨で肩の関節が痛い。ずっと腕を動かしていなかったからだろう。鎖骨を含めて左肩周りがどんよりしている感じ。リハビリ頑張るしかない。

 

 

10月29日金曜 運動療法からリハビリ

仕事を終えてトレーニングジムに行く。状態は日に日に良くなってきた。エアロバイクのハンドルを両手でつかめるようになったし、腕も大分上がるようになってきた。この調子で毎日少しずつ腕を上げる努力をするのだ。斜めの腹筋台でトレーニングをするとやや鎖骨が痛むがゆっくりやれば大丈夫だ。背筋はまだできない。ていうか背筋台に乗れないのだ。下半身は問題なく通常のトレーニングができる。トレーニングのあとは軽くストレッチ運動をして、締めくくりはサウナ室で汗タラタラ。

 

 

11月1日月曜 もう一つの病院で再診V 

いつも午前中に行くとお年寄りの患者さんが多いから夕方に行くことにした。先生が忙しいとレントゲンを撮ってもらえない可能性があるからだ。 夕方に行くと待合室は2〜3人だけ。{やった} すぐに診察室に呼ばれた。 先生「調子はどうですか?」 僕「いいです、鎖骨バンドも外しましたし」 先生「えっ!外したのですか!」 僕「いやぁ、その、あの、その・・」 {うっヤバイここでも嫌われてしまう} とっさに、「いやどうしても仕事で不便だったので外しましたら、特に問題なかったので・・」 先生「んー、でも外すのはちょっと早いんじゃないかなー・・・」  時期的には外してもいい頃なのだが、先生は僕が勝手に外したことが気に入らなかったのだろう。ましてや市民病院の先生が外していいと言ったなど言おうものなら、また「もう来なくていいですよ」と言われたに違いない。。 先生「今日はレントゲン撮らなくていいでしょう」 僕「え、撮ってくださいお願いします、見たいんです」 先生「あんまり日にちも経っていないし変わりはないですよぉ、まぁそこまで言うのでしたら撮ってみましょうか」  そしてレントゲンが出来上がってきた。 先生「いいですねー、大分くっつきましたねー」 ここの先生はいつもこんな感じだ。 (レントゲン写真) 先生は「次は月末くらいに来てください、それで最後にしましょう」と。  この調子で治っていけば12月のレースに出られるかもしれない。リハビリから通常トレーニングになる日は近い。 

 

 

11月3日水曜文化の日 ハイエースの洗車

今日は祝日で天気も良いからハイエースの洗車をすることにした。左腕もだいぶ動くようになってきたからリハビリのつもりで洗車をするのだ。左手に力を入れると若干鎖骨が痛むが、ゆっくりやれば普通に洗えた。 {天気の良い日に洗車ができるっていいな〜、なんか生き返ったみたいだ〜}。  リハビリ洗車は無事に終わったのだが、何かもう少し紫外線を浴びながら体を動かしたいという気持ちになりワックス掛けをすることにした。 さすがに左手でワックスをかけるとちょっとしんどい。。まぁ、ゆっくりやればいいのだ。 左手でゆっくりと円を描くようにワックス掛けをやっていると「ベストキッド」という空手の映画を思い出した。 主人公のダニエル少年はワックス掛けを毎日のトレーニングとして強くなっていった。 でも実際はそんなこと絶対ありえない。 ワックス掛けを毎日やればワックス達人になるだけだ。 我が心の師匠ブルース・リーがこの映画を見たらなんと言うだろうか!  そんなことを思いながら左手でゆっくりと円を描くようにワックス掛けをしていった。

 

 

11月4、5日 ジム通い

真面目にジムに通っているせいか体の状態は日に日によくなっていくのが判る。バンザイはもちろんの事、全身のストレッチも大分できるようになってきた。しかしまだまだ左肩関節の筋は伸びきってはいない。人間の体って動かしていなかったらすぐに筋が縮むもんなんだなぁ。 僕はまだ縮みたくないし伸びていきたいのだ。 男とはそういうものなのだ。。  まぁ、ここまでくれば骨折前にいつもやっていたストレッチをやっていくだけだに。

 

 

11月6日土曜 ぼちぼち力仕事も

ほぼ通常の仕事ができるようになってきた。力を使う仕事が溜まっているから、ぼちぼち片付けていかなくてはならない。無理をしない程度に体を動かして仕事をがんばるのだ。

 

 

11月9日火曜 上半身のトレーニング開始

仕事が終わってジムに行く。エアロバイクと下半身のトレーニングをこなし、上半身のトレーニングも始めた。まずはベンチプレスで26キロを数回上げてみたが、さすがに重く感じる。鎖骨も少し痛かった。しかし二週間前まではエアロバイクのハンドルがつかめなかったことを考えるとすごい進歩なのだ。重さは徐々に増やしていけばいいのだ。これでいいのだ。

 

 

11月11日木曜 TMAX用マフラー製作

先月から開発を進めていたTMAXのマフラーが完成した。マフラー製作のきっかけは9月に芳賀紀行から電話があり「TMAXのマフラーを作ってほしい」という要望があったからだ。紀行は僕がデイトナに居たころの後輩だが、今や世界のトップライダーにまで成長した。僕はデイトナに在籍していた頃、紀行と健輔(兄)と宮崎さん(先輩ライダー)との4人でミニバイクの練習によく行ったものだ。その中でいつもトップタイムを出すのは決まって紀行だった。あとの3人はどうしても勝つことができなかった。この頃から紀行の走りは洗練されていたのだ。ロードレースはセッティングなどで悩んだり考えたりすることはよくあることだが、ミニバイクでは考えずに走りに集中できたりするもんだ。しかしこの「考えない」ということがすごく大事なことなのだ。ブルース・リーの名言で「頭で考えるな 肌でつかめ 感じろ」という言葉がある。もちろん考えることは大事なことなのだが、淡々と練習するということもすごく大事なことなのだ。

ブルース・リーが弟子に聞かせた話と名言を集めてみた。

 

        むかしむかし年老いた‘きこり’がいた いつものように木を切っていると まわりの木がゆさゆさ揺れた

すると木々の間から龍が現れた 龍は鼻から煙のような息を吹き出している

{こりゃたまげた! 本物の龍だ 捕まえれば金になるぞ 有名になれるぞ}

きこりはおのを構えて龍に近づいた 「愚か者め」 と龍が言った

「お前の考えはお見通しだ もう一歩前に踏み出してみろ お前を黒焦げにしてやる」

きこりは考えた {私の考えが読めるのか ならば龍は捕まえられん}

あきらめよう きこりは木を切った 切ることに集中した 無心に木を切るうち

おのが手からすっぽり抜け 宙を飛び 龍の眉間に刺さった

 

☆  心を空っぽにして どんな形態も形も捨てて 水のようになるんだ
水をコップに注げば 水はコップとなるし 水をティーポットに注げば 水はティーポットとなる
水は流れることも出きるし 激しく打つことも出来る だから友よ、水のようになるよう 心掛けることだ

 

ブルース・リーは言う 「考えるな 考えなくても 練習を積めば 体は自然に動く それが真の武道家」だと

僕も「考えない」真の職人ライダーをめざすのだ。。(考えるのが苦手なだけ)

 

 

11月13日土曜 マフラーを名古屋まで配達

完成したTMAXマフラーを名古屋の芳賀邸までドムさんと一緒に配達に行った。TMAX紀行号にOUTEXマフラーを取り付けて撮影完了。 夕方から僕とドムさんと芳賀兄弟とで飲みに行く。僕は芳賀兄弟と久しぶりの再会、ドムさんはテレビの画面上でしか見たことがなかった紀行と話がはずむ。 ドムさんは日本語ペラペラなのだが、なぜか紀行はドムさんが外国人だからか、たまに英語で話をしていた。そりゃ8年も海外のレースをやっていれば自然と英語が出てくるのだろう。 みんなが調子よく飲んでいると酔っ払った顔した紀行が「テキーラお願いしあ〜す!」  僕も一杯だけは飲んだが、ドムさんと紀行は何杯か連続で飲んでいた。 でも、酒はほんとに怖い・・・ 酔っ払ったドムさんはなんと世界のトップライダー紀行に「今度〜、俺とモタードで勝負しろ〜!」と。。 紀行も「いいよ〜!!やったるよ〜!」と。 しまいには僕にマシンを用意してくれとまで言い出す始末。 僕と健輔は静かに仕事の話などで盛り上がっていたが、隣では紀行VSドムさんのバトルが永遠に続いていた。紀行はレースでも酒でもバトルが好きなのだ。

 

 

11月16日火曜 肩凝り 

ジムでのトレーニングも順調なのだが、左肩の凝りがひどい。肩の奥の方がガリガリなのだ。 ずっと鎖骨バンドをしていたせいとトレーニングの影響からだろう。  近所の内科で肩凝りが治る注射を討ってくれると言う情報を耳にしたから行ってみることにした。 自転車で○○内科医院に行く。ほんとに小さな病院で待合室も10人座れればいい方だろう。しかし待合室には誰もいない。。 すぐに先生から呼ばれ診察室に入る。 もうおじいさんと呼んでいいかもしれないくらいの歳の先生が「どうしました?」 僕「鎖骨骨折から肩凝りがひどくて・・」 すると先生は「鎖骨骨折なんかたいしたことはない」と言うではないか。。一瞬「折った事あるのか?折ってやろうか」と言いたかったが注射がひかえていたからグッと我慢する。 なぜこの先生は「鎖骨骨折なんかたいしたことはない」と言ったのかは判らない。 そして肩に注射をされたのだが結構痛かった。飲み薬を貰って帰る時も患者さんは一人もいなかった。暇そうな先生の後姿が印象に残った。 結果的に注射はあまり効き目があったようには思えない。肩凝りも時間を掛けて治すしかないのだ。

 

 

11月17日水曜 猪名川サーキットで練習走行 

左腕も普通に動くようになってきたし、12月のレースに出場するためにもそろそろバイクに乗らなくてはならない。という訳で猪名川サーキットに行ってみることにした。

マシンには普通に乗れたが、もし転ぶとせっかくくっついた鎖骨が外れてしまうから慎重に乗った。鎖骨の痛みは少しあった。

 

 

11月20日土曜 名阪スポーツランドで練習走行

猪名川サーキットで普通に乗れることが確認できたから今月28日開催の広島タカタのレースに出ることにした。今月28日と12月5日のモテギとで連続なのだ。約2ヶ月間バイクに乗っていなかったから、その分を取り戻すために練習あるのみなのだ! この日も調子は悪くない。無理をせずに順調にラップを重ねていった。ロングストッピーも問題ない。

 

 

11月28日日曜 広島のTSタカタでレース

来月の5日にモテギで開催されるMOTO-1全国大会に出場するためにもレースの勘を取り戻す必要があるのだ。しかし怪我が完治している訳ではないから無茶はできない。 決勝結果は2位だったが心配していた転倒もなく、練習、予戦、決勝と順調にラップタイムを上げていけたことに満足した。優勝したshow1選手はグランドスラム達成だ おめでとう。  

さあ、来週はいよいよ全国大会だ! 9月24日に鎖骨骨折のレントゲンを見てからは全国大会出場を殆んど諦めていたが、出られるようになって本当にうれしい。頑張ってくるのだ。

 

 

11月30日 最後のレントゲン

朝から病院に向かう。{今日が最後だな〜}と思いながらレントゲンを撮ってもらった。 レントゲンが出来上がってきて先生が言う 「ん〜、1ヵ月後にもう一回来ますか?」  レントゲンを見ると亀裂は残ったままのようだ。 僕「でも、もういいです。日常の生活も普通にできていますし、こないだからバイクにも乗っていますし」 先生「そうですか、では今日で最後にしましょう」。 そしてMFJへ送る診断書を書いて頂いた。先生に笑顔でお礼を言い会社に戻る。 {幾ら貰えるのかなぁ}など考えながら封筒にMFJの住所を書き込み、診断書と見舞金請求を送った。これで一応すべて終わった。 

 

 

あとがき

まず読んで頂いてありがとうございました。日記を書こうと思ったのは仕事ができず退屈だったからですが、他人の骨折日記を読んでいるうちになんとなく自分も書いてみようと思ってしまったことからでした。 僕自身、他人の骨折日記や怪我人が集まる掲示板の書き込みなどで助けられましたので、この日記で少しでも怪我人のお役に立てればと思った次第です。 僕は過去に骨折を何度か経験し、大きな失敗を2回も繰り返してしまいました。それは骨がくっつく前にレースに復帰してしまい、同じ所をまた折るということをやってしまったのです。こうなると治りも遅れて1年を棒に振るということもありました。同じ所を連続で骨折するのは精神的ダメージも更に大きくなりますので、怪我をしても復帰をあせらずに治療に専念しましょうね〜。 今回もこりずに少し急いでしまいましたけどね(笑)

 

中しゃち